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先週25日、私の母校である鎌倉市立大船中学校において、『過去に学び、未来を描く』といった演題で講演 (授業協力) を行う機会に恵まれました。バスケットボール部員としてかつては朝練で、試合で汗を、涙を流した懐かしい体育館に集まった (現在は改築されて立派なスポーツ棟アリーナに) 後輩たち約170名を前に「平和」について語る。学校長様を始め教職員ならびに関係者の皆様のお力添えにより、大変感慨深い時間を過ごすことが出来ました。

拙著『平和のバトン〜広島の高校生たちが描いた8月6日の記憶』を原典とする拙文「平和のバトン」が掲載された文部科学省検定教科書『新編 新しい国語1』を今単元で学んだばかりの中学一年生の後輩たち。これまで社会人はもちろんのこと、大学生や高校生には幾度となく講演を行って来ましたが、13歳という感受性豊かな”真っ白いキャンバスたち”に、いかにして戦争の非人道性や被爆の実相、そして平和の大切さを伝えるか。

興味を抱かせるだけに留まらず、「自分には何が出来るか、何をすべきか」。彼らを自発的な行動へと導くためにはどのような”語り部”が求められるのか。この難問と真正面から向き合い、いわゆる”平和教育”にあり勝ちな予定調和を排し、ありきたりの”学習”ではなく得難い”体験”を共有する独自のスピーチ・メソッドを考案しました。聴衆が専門家であろうと中学生であっても、一期一会の真剣勝負であることに変わりはありません。

 

ちょうど『「いじめストップ!」ワールドアクション ピンクシャツデー2026 in 神奈川』の当日であったため、制服ではなくピンクのTシャツを着た生徒たちの姿も見受けられました。

 

これまで数々の平和運動家や有識者と称される方々のスピーチを伺って来ましたが、率直に云って (戦場体験者や被爆者を除き) 傾聴に値する内容はほんの僅かしかありませんでした。その多くが半世紀以上にもわたり何ひとつとして代わり映えのしない定型句、事例をリピートするばかりで、金太郎飴の如く想定内の展開と結論に終始する。これでは”予定調和”を期待して集まる”仲間内”でしか賛同を得ることは出来ません。偏狭な持論を押しつけたところで感性の鋭い10代の若者たちの心を動かすことは叶わず、況してや彼らから主体的な意欲を引き出すことなど夢のまた夢でしょう。

“他流試合”は決して楽ではありません。面と向かって反論される、批判されるリスクも負うことになります。しかしながらこうした議論を避け、聞き手の立場を無視した”説教”に安住し、マスターベーションを繰り返して来た結果が、若者たちの平和運動離れであったことは厳然たる事実です。「平和」という言葉に対するアレルギーを植え付けた責任は極めて重大であったと云わざるを得ません。

その意味において今回の講演は、母校といった点ではホームでしたが世代の違い、歴史認識の差異から云えば完全なアウェイであったにも関わらず、お陰様で多くの生徒たちが身を乗り出して聞き入って下さいました。質疑応答では、「非核三原則をどのように思われますか?」、「なぜ日本は戦争をしたのでしょうか?」といった極めて高度な質問も飛び出し、先輩として頼もしく思える瞬間でもありました。

 

後輩たちはこれから国語科の授業の中で、教室で学んだ”知識”、そして今回の講演で得た”感覚”に基づき借り物ではない「鎌倉で生まれ育った彼らにしか出来ないことは何か?」といった私の問いかけに応じるべく意見交換を行い、他の誰でもない彼ら自身のアプローチを模索して行きます。小さな一歩。しかしながらここから、鎌倉発の平和推進活動の大きな一歩が始まります。私も鎌倉市教育委員会と連携し、引き続き市内各校にて講演活動を行い、微力ながらも新たなプロジェクトの構築に寄与し、その果実を全国へ、世界へと拡げてまいります。