
第23回 開高健ノンフィクション賞最終候補作に選ばれた新著『ルポ 被爆二世』の序文は、「被爆二世への差別を自覚することから、私の取材は始まった」の一文から始まる。
小山美砂さんとの邂逅は7年前に遡る。拙著『平和の栖〜広島から続く道に先に』を上梓した折、当時はまだ毎日新聞 広島支局の記者であった彼女から取材の申し入れがあった。広島国際会議場の地下にあった『レストラン セレナード』に赴くと、重い撮影機材を背負った小山さんが、無数の付箋を貼った拙著を小脇に抱えて現れた。以来、時折酒を酌み交わしながら「ヒロシマ」について、「創作」について語り合って来た。
そんな小山さんの新著『ルポ 被爆二世』 (集英社新書) の刊行記念トークイベントが昨晩、紀伊國屋書店新宿本店で催されると知り、夜の帳が下りた新宿に足を運んだ (哲学者 永井玲衣氏とのトークセッション)。
小山さんは、広島出身ではない。私と同じアウトサイダーである。学生時代に原爆被害に関心を持ち、入社時には広島勤務を強く希望したという。彼女のジャーナリストとしての立ち位置に、「ヒロシマ」が欠かせない存在であり続けていることがわかる。
私が彼女に抱いた第一印象は、斬新な着眼点と”分別のない”行動力の持ち主というものだった。その時点ではまだ一冊の本を書き上げるだけの筆力と構成力があるかどうかは未知数だったが、僭越ながら「このひとは必ず伸びる」と事ある毎に周囲に触れて廻った。
「被爆」は極めて重要かつ重厚なテーマでありながらも三四半世紀も経れば、先行研究・取材の焼き直しにならざるを得ない。事実、1990年代以降、新たな切り口で「ヒロシマ」を描いた作品はほんの数えるほどしかない。しかしながら小山さんは4年前に発表した処女作『「黒い雨」訴訟』 (集英社新書) で”切り捨てられた被爆者”を追い、新著『ルポ 被爆二世』でも”みんなこの問題から逃げていく”タブーに着目し、これまで光が当てられることのなかった骨太のテーマを見出した。いずれも地元のジャーナリストでさえ見過ごして来た、または敢えて見て見ぬふりをして来た主題である。そこに彼女ならではの”臭覚”がある。
"あの"小山さんからサインをもらう日が来ようとは (笑)。これほど嬉しいことはない。おめでとう。
広島には、この地特有の排他性が存在する。それは被爆地といった特殊性のみならず、50年代に巻き起こった反戦・反核運動の嵐の中で、東京や大阪から大挙して被爆地・広島に群がった運動家たちによって祭り上げられ、踊らされ、そして蹂躙された広島もんのアウトサイダーに対する根深い不信感にも起因している。
12年余り前、私が本格的に広島取材に着手した際には、多くの被爆者の方々が「広島の戦後復興」といった独自のテーマに賛同し、手を貸して下さった。しかしながら時を経て、「ヒロシマ」の深部に迫りつつも”サークル”に帰属しようとしないアウトサイダーは批判の対象ともなって行く。これまで、大江健三郎氏を始め、「ヒロシマ」と真摯に寄り添った作家たちも、やがてこの地を後にしている。哀しい哉、その心持ちが歳月を経て、私も漸く理解出来るようになった。
退社後、小山さんは広島に居を構えた。生活の場を広島に移すことで彼女は、被爆二世のみならず「ヒロシマ」の「語りにくさ」と真正面から向き合い、新たな活路を見出そうとしている。闘っている。広島もんはまだ気づいてはいないだろうが、「小山美砂」というジャーナリストは「ヒロシマ」にとって、おそらく最期の、掛け替えのない”表現者”となるであろう。
一方で、広島生まれでも育ちでもない彼女が「ヒロシマ」と媾い、新たな子を宿し、世に問うにあたり、幾多の困難が待ち受けていることも予想される。思わぬ軋轢を生み、孤独な闘いを強いられるかも知れない。懊悩煩悶に襲われるかも知れない。それでも、アウトサイダーとしての客観性を常に堅持し、他の誰でもない「小山美砂」の視点にこだわり、歴史に残る作品を創り続けて欲しいと切に願う。飛翔せよ。覚醒しつつ添い寝することが、「ヒロシマ」に生気を与え、自らを守ることにもなる。但し、それが出来る資質を備えた者は、ほんの僅かしかいない。被爆から80余年を経た「ヒロシマ」の、偽らざる光景である。


































