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人種差別に抗議するBLMのデモで掲げられていたプラカードには「ジョージ・フロイドは、モーニング・コールではない。同じアラームは1619年から鳴り響いていたのに、あなた方はスヌーズを押し続けていただけに過ぎない」とあります。この”1619年”は、アフリカ大陸から北米の英領バージニア植民地ジェームスタウンに初めて20名の奴隷が連れて来られたとされる年です。

 

   現在、米ミネソタ州ヘネピン郡地方裁判所では、故・ジョージ・フロイド氏を死亡させたとして第2級殺人罪で起訴されている元・警察官デレク・チョーヴィンの実質審理が進められています。昨年5月25日、フロイド氏が警察官に拘束され、長時間にわたり膝で首を押さえつけられ死亡したこの事件がきっかけとなり、人種差別抗議運動”ブラック・ライブズ・マター”(BLM: Black Lives Matter)が全米に広まりました。

また、彼の遺族が「警察官の適切な逮捕術の訓練を実施していなかった」としてミネアポリス市を相手取り起こしていた民事訴訟は、市が遺族に対して2,700万ドル(約29億円)を支払うといった形で先月12日に和解が成立しています(市議会も満場一致で和解を可決)。これは”懲罰的損害賠償”(punitive damages, exemplary damages) と称される加害者の行為が強い非難に値するものであり将来、同様の事件が起こることを防止する目的で、通常よりも多額の賠償額を上乗せするといった米英特有の司法制度です。

 

こうした進捗状況を、日本のマスメディアや米国事情に詳しいとされる有識者の皆さんはご存じでしたか? あれだけBLMについて表層的なコメントを口角泡を飛ばしながら吐いていたにも関わらずその後、すっかり音沙汰なしとはどういうことでしょう。

そもそもBLMは、この事件によって生まれたものではありません。2012年2月26日夜半に、フロリダ州サンフォードに住む当時17歳だったアフリカ系米国人トレイボン・マーティン氏が、丸腰であったにもかかわらず自警団のコーディネーターだったジョージ・ジマーマンに射殺されるといった悲惨な事件が起こります。

被害者が青少年だったこともあり、アフリカ系米国人と見れば犯罪者扱いする人種偏見、ステレオタイプに対して全米から抗議の声が挙がりましたが翌年7月13日に、ジマーマンの正当防衛が認められ無罪判決が下されます。これに怒りを覚えたアフリカ系米国人の女流作家アリシア・ガルザ氏がフェイスブックに、

「私はブラック・ピープルを愛しています。私たちを愛しています。私たちは尊重されるべき。私達の命は尊重されるべき。ブラック・ピープルの命は尊重されるべきです」と投稿し、これに賛同した人権活動家のオパール・トメティ氏とパトリス・カラーズ氏が SNS上で、#BlackLivesMatter というハッシュタグをつけて拡散させたことから人種差別に対する抗議活動に火がつきました。

 

  さて、ここにひとつの曲があります。”Lift Every Voice and Sing”(皆、声を挙げて歌おう)といったタイトルで1900年に公民権運動家であった作家ジェームズ・ウェルドン・ジョンソンが作詞し、その5年後に彼の弟であるJ.ロザモンド・ジェームズがエイブラハム・リンカーン大統領の誕生日を祝して曲をつけました。歌詞には、出エジプト記から始まり”約束の地”へと渡った奴隷の苦難の歴史が壮大な叙事詩として描かれていますが、1919年に全米有色人種向上協会(NAACP)が ”Negro National Anthem”、つまりアフリカ系米国人の”国歌”として認めたことから、全米の教育機関を始め教会でも賛美歌として歌われるようになります。

 

  この動画には、数多くのアフリカ系米国人の偉人たちが登場します。マーティン・ルーサー・キング牧師が偉大な指導者であったことは言を俟ちません。しかしながら、彼が表舞台に現れる遙か以前から、何人ものアフリカ系米国人たちが自由と平等、権利を獲得するため血の汗と涙を流して来ました。キング牧師が、これら有名無名の勇者たちの死屍累々の上に存在していたことは彼が1963年8月28日、首都ワシントン.D.C.で行った最も有名なスピーチ ”I Have a Dream”(私には夢がある)の内容からも明らかです。では、人権派を自認する皆さんにお尋ねします。あなたはこの内、何人の偉人たちをご存じでしたか?