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「スカ」には、米軍人や軍属、その家族など1万2878名の米海軍関係者が在住しています(2011年3月末現在)。米航空母艦『ロナルド・レーガン』が入港すれば、最大で約5,700名の乗組員が街に繰り出します。

 

私にとっての「横須賀」は、やはり「スカ」の方がしっくり来る。ちょいとばかしやんちゃをしていた頃、実家にほど近いこともあり慣れ親しんだ街。ちょうどベトナム共和国 (旧・南ベトナム) の首都サイゴン (現・ホーチミン・シティ) が陥落した頃合いだったこともあり、ドブ板通りには、まだうっすらと血の匂いが漂っていました。

 

「日本人お断り」と書かれた薄汚れた紙が貼られたソウル・バーから、濡れた路面に零れ落ちる下卑た嬌声。ビール瓶をかち割り、血だらけになりながらも、ひたすら殴り合うマリーンズたち (米海兵隊員)。泣きはらして黒い筋だらけになった頬を曝け出しながら、地ベタにうずくまる四十路のママさん。そこここに撒き散らされた黄土色の吐瀉物。やがて数名のMP (米軍警察) が甲高い音のホイッスルを吹き鳴らしながら駆けつける。「一寸前なら憶えちゃいるが 45年前だとチト判らねェなあ」。あの頃の「スカ」では、いかにも見慣れた光景。

 

〽 横須賀好きだっていってたけど

外人相手じゃカワイソーだったねェ

 

    (『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』 作詞 阿木燿子 作曲 宇崎竜童)

 

 

   無味無臭となった”日本人街”で、当時の面影を微かに残しているのが、米軍横須賀基地 (U.S. Fleet Activities Yokosuka FAC3099) の正面ゲート前に佇む『ギャラリー・ハニービー』です(“Gallery”は、米軍隊用語で戦艦の厨房を意味します)。同店は、米軍の隊員食堂 (Chow Hall) に勤務していた初代店主 直井陽樹氏が1968年(昭和43年)に開いたアメリカン・スタイルのダイナー。私が足繁く通っていた当時は、まだ米ドルが使えましたが、どうやら今は日本円しか扱わないらしい。店内も、すっかり”観光客向け”に小綺麗に”整頓・清掃”されていました (ちなみに、かつてこの店はMPの休息所ともなっていました)。

 

レギュラー・ネイビー・バーガー・コンボ 1980。バンズが程良く焼かれているため型崩れせず、ケチャップやマスタードが殆ど零れ落ちない逸品。コンボは、一兵卒を指すレギュラーの他にキャプテン(Captain: 艦長)、ヴァイス・アドミラル(Vice Admiral: 中将)、アドミラル(Admiral: 提督)、フリート・アドミラル(Fleet Admiral: 元帥)などがあり、階級が上がる度にボリュームも増します。

 

  懐かしい肉厚のハンバーガーをおもむろにファースト・バイト (First bite)。味は、昔のまま。今想えば、このひと口が、私の米国留学のきっかけとなり、後にベトナム社会主義共和国へ取材のため幾度も通ったエントランスともなったように思います。

   セカンド・バイト (Second bite)。食感も、昔のまま。「スカ」を母港とする米航空母艦『ロナルド・レーガン』(CVN76)は、台湾沖で展開中のため生憎不在でしたが、曇天の港内には『ジョン・ポール・ジョーンズ』(DDG-53) や『デューイ』(DDG-105) など6隻のアーレイ・パーク級ミサイル駆逐艦、いわゆるイージス艦が停泊していました。ちょいとばかしお行儀が良くなったように見えても、「スカ」は「スカ」。どこまで行ったところで血が染み込んだ港町。戦場と繋がる埠頭。そこの坊や、「スカ」にゃあ、「仁義を欠いちゃいられやしないよ」。

 

 

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