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今年も8月6日、広島において「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」(平和記念式典)がしめやかに執り行われました。本年度、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)に奉納された原爆死没者名簿に登載された方々は33万3,907名。追加奉納数は4,978名となり、”被爆者なき時代”はもうすぐ目の前にまで迫っています。

 

平和記念式典は、被爆体験の風化が叫ばれる中、大半の日本人にとっては被爆の実相、核兵器の残虐性に想いを馳せる唯一の機会であり、「ヒロシマ」にとっても”最後の砦”と云って良いでしょう。ところが被爆77年目を迎えた今年、”広島のこころ”を真摯に伝えて来た平和記念式典が拠って立つ理念を根底からねじ曲げる”事件”が同時多発的に起こりました。

 

まずは、この連載でも再三綴って来たように広島市は、ウクライナに軍事侵攻しているロシア連邦、そしてロシア連邦を擁護するベラルーシ共和国に対して、戦後初めて招待を見送る決断を下しました。松井一実広島市長は、今年の『平和宣言』の中で、ロシアの文豪レフ・トルストイの「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の 幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ 」といった言葉を引用しつつ、

「今、核保有国がとるべき行動は、核兵器のない世界 を夢物語にすることなく、その実現に向け、国家間に信頼の橋を架け、一歩を踏み出すこ とであるはずです。核保有国の為政者は、こうした行動を決意するためにも、是非とも被爆地を訪れ、核兵器を使用した際の結末を直視すべきです。” そして、国民の生命と財産を 守るためには、核兵器を無くすこと以外に根本的な解決策は見いだせないことを確信して いただきたい」と語っています(文中「」は筆者)

それが本心であるならば、誰よりも今、平和記念式典に参列して頂かなければならない人物はウラジーミル・プーチン大統領であり、アレクサンドル・ルカシェンコ大統領であったはずです。国際平和文化都市を標榜する広島市としては、万難を排して彼らに訪広を促し、身を挺して安全を確保すべきでした。

さらには、混乱を避けるため式典当日を避けて原爆慰霊碑に献花のため訪れたミハイル・ガルーシン駐日ロシア大使やベラルーシ共和国のルスラン・イエシン駐日大使に対して市当局は、献花台も設けないといった非礼極まりない対応を行っています。博愛精神に基づいた恒久平和の願いは、一体どこへ行ってしまったのでしょうか。

 

また、元・朝日新聞記者で広島在住のジャーナリスト 宮崎園子さんが『BuzzFeed』で綴っているように (https://www.buzzfeed.com/jp/bfjapannews/hiroshima2022)、平和記念式典の開式に先立ち会場に設置された大型ディスプレイで流された韓国原爆被害者対策特別委員会委員長の李鍾根さん (イ・ジョングン。式典一週間前の730日に永眠のメッセージ映像の、原稿の一部が市担当者の求めに応じて削られたといった事実も判明しました。削られたのは、

「あの日被爆した朝鮮半島出身者たちは、同じ被爆者でありながら、終戦を境に外国人として”切り捨てられ”、援護を受けられないまま多くの人が死んでいきました」といった原稿の「切り捨てられ」の6文字(文中「」は筆者)。些細な修正依頼のように思われるかも知れませんが、宮崎さんによれば李さんは生前、「一番言いたかった部分を削るように、広島市の担当者に言われたのよ」と、話されていたと云います。小事を疎かにすれば、大事においても大義は失われます。

 

1949年(昭和24年) 8月6日、まさにこの平和記念式典の会場において披露され、同日公布された『広島平和記念都市建設法』の第1条《目的》は、

「この法律は、恒久の平和を誠実に実現しようとする理想の象徴として、広島市を平和記念都市として建設することを目的とする」と、広島市の希求する理念を高らかに謳っています。これは、原爆投下によって塗炭の苦しみを味わった広島市民が哀しみに堪え、唇を噛みながら悔しさを抑え、”憎悪”ではなく、恒久平和という”理想”を選択した崇高な精神を表す一文です。

 

  私は常々、”広島の憲法”たる同法を、「平和学習」の一環として広島市民に教えるべきだと主張して来ました。少なくとも市職員は、暗誦出来て然るべきでしょう。我が国を取り巻く国際情勢の変化によって揺らぐような理想であればないに等しい。公務員の不寛容、認識不足、”事なかれ主義”が理念を軽々と凌駕するのであれば、いっそのこと身分不相応な旗は降ろしてしまえばいい。それでも、今の広島であれば誰ひとりとして苦言を呈する者はいないでしょう。不感症。事実、「ヒロシマ」が直面している根源的なアイデンティティの喪失、目前に迫りつつある危機について、明確に指摘している地元マスメディアはひとつもありません。咎められるべきは広島市長、市職員たちだけでしょうか? 市政は、常に市民が抱く潜在意識の具現化であることを忘れてはなりません。

 

今年の平和記念式典は、後世の歴史家によって「ヒロシマ」の終わりの始まり、と明記されることでしょう。ゆるやかな死は、茫洋たる不安感から、実態を伴った終末へと確実に歩み始めました。

 

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