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愈々明日から広島市で、先進7か国首脳会議 (G7サミットが開催されます。ジョー・R・バイデン米大統領を始め、核兵器保有国である英国とフランス共和国を含む西側主要国の首脳が、戦時において初めて原子爆弾が投下された此の地に集います。まさに歴史的な3日間と云って良いでしょう。

 

米軍の最高司令官 (Commander-in-Chief) である現役の米大統領の訪広は、2016 (平成28) 527日のバラク・H・オバマ大統領以来となります。当時、広島入りしていた私は、戒厳令下における広島市職員らの奮闘、混乱ぶりをつぶさに追い、その様子を拙著『平和の栖〜広島から続く道の先に』の第6章「片翼の不死鳥」に綴りました。

 

その後、一部の方々からオバマ大統領の広島平和記念資料館での滞在時間があまりにも短い、といった批判の声が上がりました。様々な要因はありましたが、主に警備上の理由から大統領の滞在時間は僅か10分足らずに抑えられました。懇意にさせて頂いている当時の同館館長 志賀賢治さんは、「本音を云えばもっとじっくり見て頂きたかった」と無念の表情を浮かべつつも「それでも構わない。米大統領が、一歩でもこの資料館に足を踏み入れたことに意義がある」と話して下さいました。

   その通りです。生き馬の目を抜く国際政治のシビアな現場を少しでも知る者は、機密装置「核のフットボール」を常に帯同する米大統領が、壮大な矛盾を抱えながらも、この被爆地にとっての聖地を初めて訪れたこと自体に、極めて重大かつシンボリックな意味があることを十二分に理解していました。まさに「小さな一歩」ではあったものの、「大きなステップ」への始まりでもあったわけです。

 

事実、オバマ大統領の訪広に先立ち同年4月11日に広島を訪れたジョン・F・ケリー米国務長官 (当時) は、予定時間を遙かに超過するのも厭わず同館を見学しています。直後の記者会見で「はらわたを捻られたような経験だった」(gut-wrenchingと述べ、芳名帳に「世界中のすべての人がこの資料館を見て、その力を感じるべきだ」と記した彼の、この実体験とキャロライン・B・ケネディ駐日大使 (当時) の力強い進言が、オバマ大統領に訪広を決断させました。

 

被爆者の梶本淑子さんは、オバマ大統領が原爆死没者慰霊碑 (広島平和都市記念碑に献花したのを見届けると、「大統領が来て下さったよ。花を捧げて下さったよ。だから成仏してね。許し合わんといけんよ」と、原爆によって尊い命を亡くされた方々に静かに語りかけました。私は、この怨念と寛容の狭間で70年以上もの間、葛藤し、苦しみ抜いた末に漸く辿り着いた境地に心打たれ、零れ落ちる涙を抑えることが出来ませんでした。

しかしながら、こうした崇高な精神、世界中の人々が広島もんに向ける尊敬の念も、被爆はもちろん戦争も知らない人々によって「加害者を許すとは一体どういう了見じゃ!」といった心ない非難の嵐に曝されました。被爆地・広島が根源的に抱える「断絶」と「停滞」が再び、露呈した瞬間でした。

 

戦後最大と称されたオバマ米大統領訪広時の厳戒態勢 (著者撮影)

 

現役の米大統領にとって、今回は2度目の訪広となります。水面下では様々な調整が行われて来たはずですが、前回同様のアプローチに終始するようでは停滞=後退でしかなく、曲がりなりにも「核なき世界」を標榜する核保有大国として、決して許容される戦略ではあり得ません。

謝罪にまで踏み込まずとも、歴史的に極めて好戦的な米民主党のリーダーとして、バイデン米大統領がこの広島で如何なるメッセージを発し、世界史に足跡を残すのか。21世紀の国際政治の潮流を見極める上でも、非常に重要な「第2のステップ」となることは間違いありません (ちなみに米国特有の人権思想、法の概念から云って私は先々、米政府が正式に広島・長崎に対し謝罪することは確実と予測しています。但し、それは核兵器廃絶が実現した後となります)

 

大事は、一朝一夕に成し遂げられるものではありません。一歩、そしてまた一歩、地道であれ弛まなく前へ進むことで初めて成就されます。被爆者の皆様と同じような強靱な忍耐力と持続力、そして精神の気高さが、今こそ平和しか知らない我々には求められています。