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「アメリカについて書いてもらえないか」

元・講談社の敏腕編集者であったさくら舎の社長さんから、執筆の打診を頂いたのは、1年以上も前のことでした。

20世紀に世界の表舞台に躍り出た米国はその後、「近代」そして「現代」を牽引して来た。そんな超大国の様子が今世紀に入ってどうもおかしい。我が国の往きし来し方にも多大な影響を及ぼして来た同国が変革期に差し掛かっている今こそ、この国の本質を改めて見詰め直す必要があるのではないか、というわけです。

 

米国の大学に留学して以来、様々な取材で同国を幾度となく訪れ、政治家や学者、ハリウッド俳優、プロスポーツ選手等々、紛うことのなき「天才」から名もなき庶民に至るまで、数多くの人々と出会い、そして別れを経験して来ました。そんな私にとって「アメリカ合衆国」は、ライフワークのひとつでありながらも、これまで一冊の書物としてまとめたことはありませんでした。

「わかりました」

私は、ふたつ返事でお引き受けしました。とは云え、米国に関する書籍は星の数ほどあります。はてさて、どうしたものか。私はふと、30代の頃に発案した企画を思い出しました。米国を米国たらしめる”土地”をつぶさに訪れ、現場からその”磁力”を伝える。云ってみれば、アメリカ人のアメリカ人によるアメリカ人のための”聖地”を巡る旅です。残念ながら当時は実現することはありませんでしたが、その後、実際にそれら”聖地”を”巡礼”したことで、ようやく形にすることが出来るのではないかと。

 

近代国家として成立して以来、1世紀半余りの米国ほど、“聖地”といった名称が似つかわしくない国はありません。しかしながら、確実に米国人にとっての”聖地”は存在します。彼らがアイデンティティの拠り所としている土地、彼らの理想、理念を体現する土地、そして米国人以外が忌み嫌う土地。これらパワースポットに足を踏み入れ、”霊力”を体感することで、この不思議の国の実像、光と影が仄見えて来る。「アメリカ合衆国」とは何か? 新著では、新聞記者にはない視点、研究者には描けない筆致で極私的、体験的アメリカ論をまとめることが出来たように思います。

 

このブログでも指摘したように、「アメリカ」という国家は存在しません。正式名称は「アメリカ合衆国」(United States of America)であり、英語で”America”といえば南北アメリカ大陸を指します。よって私はこれまで、意識的に「アメリカ」といった表記は用いて来ませんでしたが、新著題名には敢えて「アメリカ」を採用しました。なぜか? 『アメリカの世紀〜繁栄と衰退の震源地をゆく』の、最後の1行をお読み頂ければ、その理由はおわかりになるでしょう。Welcome to the Promised Land! ようこそ、「天使」と「悪魔」が共存する約束の地へ。