精霊との契り
2025/08/09
浦上天主堂の被爆マリア像
ある被爆者が、
私の眉間を見詰めながら
ぽつりと呟きました。
「核兵器がこの世からなくなるまでは
死んでも死に切れん。
あの世へ行ったら、
原爆にやられた
おとしゃまやおかしゃま、
こどんやチングから
80年も何ばしょっとったね」と
叱られる。
元・長崎市長の故・伊藤一長さんは、
「この子どもたちに
何の罪があるのでしょうか…。
すべての核保有国の指導者は
この写真を見るべきであります。
核兵器のもたらす現実を
直視すべきであります。
そしてあの日
この子らの前で起きたことを
知ってほしいのです。
この子らの無言の叫びを
感じてほしいのです」と
訴えました。
(1995年11月7日
国際司法裁判所にて)
子どもたちは業火に焼かれ、
市長は兇弾に斃れた。
それでも
今年も、藁を束ねた小さな菰が
精霊船に乗ります。
みんな、許してくれんね。
核兵器はまだよんにゅうあるばってん
あんたらのお陰で
あれから一度も
使われとらん。
もう少し待ってんね。
必ず核は
のうなかしてみせるけん。
合掌。

1945年8月10日午後2時過ぎに西部軍管区司令部の報道部員であった山端庸介によって撮影された黒焦げになった幼児






































